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第一聖書日課 創世記3章8−15節

2009/06/21 00:00
3:8 そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
3:9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
3:10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
3:11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」
3:12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
3:13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」
3:14 神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
3:15 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」


慈しみと寛容に満ちた創造主の代わりに、人が自分自身の意思でサタンを信じた時、サタンは神からの永遠の分離である死と苦しみをこの世にもたらしました。しかし、恵み深い主は人間を永遠の死から救い出す救い主を遣わす約束を与えました。

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第二聖書日課 第2コリント人への手紙4章13−18節

2009/06/21 00:00
4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。
4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。
4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。
4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。


パウロは、自分の体験から、悪魔に対抗して生きる全ての者に起こる艱難について語っています。私たちの肉体(外なる人)は、悪魔の容赦ない攻撃によって衰えます。しかし、福音を聞く度に、私たちの魂(内なる人)は日々新しくされます。私たちの一生が困難に満ちていても、私たちにはキリストによる勝利が約束されています。ですから、私たちは見えるもの(この世のもの)ではなく、見えないもの(永遠の祝福)に目を留めます。

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福音書朗読 マルコの福音書3章20−35節

2009/06/21 00:00
3:20 イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まって来たので、みなは食事する暇もなかった。
3:21 イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ。」と言う人たちがいたからである。
3:22 また、エルサレムから下って来た律法学者たちも、「彼は、ベルゼブルに取りつかれている。」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ。」とも言った。
3:23 そこでイエスは彼らをそばに呼んで、たとえによって話された。「サタンがどうしてサタンを追い出せましょう。
3:24 もし国が内部で分裂したら、その国は立ち行きません。
3:25 また、家が内輪もめをしたら、家は立ち行きません。
3:26 サタンも、もし内輪の争いが起こって分裂していれば、立ち行くことができないで滅びます。
3:27 確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです。
3:28 まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
3:29 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
3:30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは、汚れた霊につかれている。」と言っていたからである。
3:31 さて、イエスの母と兄弟たちが来て、外に立っていて、人をやり、イエスを呼ばせた。
3:32 大ぜいの人がイエスを囲んですわっていたが、「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、外であなたをたずねています。」と言った。
3:33 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「わたしの母とはだれのことですか。また、兄弟たちとはだれのことですか。」
3:34 そして、自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。
3:35 神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」


イエス・キリストのみが救い主です。しかしながら、私たちが「それを知っているはずだ」と期待する人々がしばしばその期待に添わないことがあります。イエス御自身のこの世での家族もイエスの働きに疑いを持ち、宗教指導者たちもイエスに強く反抗しました。今もなお多くの人々がイエスを理解することが出来ず、イエスが悪魔と結託していると考えている人もいます。しかし、イエスの恵みを見て下さい!イエスは罪人を救うためにこの世に来ました。イエスは御言葉をもって人々を御自身のもとに導きます。


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第一聖書日課 申命記 (Deut.) 5:12−15

2009/06/14 01:50
5:12 安息日を守って、これを聖なる日とせよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。
5:13 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
5:14 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘も、あなたの男奴隷や女奴隷も、あなたの牛、ろばも、あなたのどんな家畜も、またあなたの町囲みのうちにいる在留異国人も。――そうすれば、あなたの男奴隷も、女奴隷も、あなたと同じように休むことができる。
5:15 あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。



安息日の目的は、神の全能の働きと行いを思い起こして、魂の平安を得ることです。神は全能の力でイスラエル人をエジプトでの奴隷状態から救い出したように、私たちを悪魔と罪と死の奴隷状態から救い出して下さいました。神のことばを聞き、読み、学ぶたびに、そのことを思い出しましょう。


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第二聖書日課 コリント人への手紙 第二 (2 Cor.) 4:5−12

2009/06/14 01:49
4:5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。
4:6 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。
4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。
4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。



イスラエル人がともに集まって、神の全能の御業について聞く理由があるとするなら、私たちにはそれにも増して同じようにする理由があります。私たちは、罪と死の奴隷から解放してくださる救い主キリストについて聞きます。私たちが福音を聞く時、私たちは神からの光を受けます。その光はこの世で生きる私たちを守り、私たちが救い主を永遠に礼拝するために、最後の日に私たちをよみがえらせます。

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福音書朗読 マルコの福音書 (Mark) 2:23−28 

2009/06/14 01:49
2:23 ある安息日のこと、イエスは麦畑の中を通って行かれた。すると、弟子たちが道々穂を摘み始めた。
2:24 すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」
2:25 イエスは彼らに言われた。「ダビデとその連れの者たちが、食物がなくてひもじかったとき、ダビデが何をしたか、読まなかったのですか。
2:26 アビヤタルが大祭司のころ、ダビデは神の家にはいって、祭司以外の者が食べてはならない供えのパンを、自分も食べ、またともにいた者たちにも与えたではありませんか。」
2:27 また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。
2:28 人の子は安息日にも主です。」



パリサイ人は神が安息日に与えるすべての喜びを失いました。なぜでしょうか。
彼らは律法を熟知し愛していると公言していたが、実は正しく理解していませんでした。また、ダビデの例をとって説明された神の言葉を受け入れませんでした。彼らは救い主を信じないで、自分たちの善行によって救いを得ようとしました。しかし、神が安息日を制定した目的は、私たち人間を神と神の御業に注目させるためでした。パリサイ人のように自分の功績に頼ってイエスを否定するなら、私たちも誤った道を歩んで不信仰に陥り、神の言葉が与える平安や救いを失います。

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